薬に頼りたくない。でも、頼りにしてほしい。

痛みを、愛しているのかもしれない。

 

「人は、悲しい時にはちゃんと、悲しい、をしないといけない。部屋でひとり膝を抱えて泣く夜も必要なのよ。」

 

昔見たドラマで確かそんな科白があったのを、今でも時々思い出す。

 

だからなのか、何か辛いことなんかがあったときに人は「酒でも飲んで忘れてしまえ。」とか言うけれど、そういうのはなるべく避けたい。

 

この辛かったり悲しかったり痛かったりするのは自分にとって大事な感覚で、ちゃんと感じるべきもんなんだと思うから。

 

だから、安易に痛み止めとか飲みたくない。

 

ないんだけど。

 

親知らずの痛みは別らしい。

 

抜く前、痛みに負けじと歯痛を受け止めにかかった夜もあったけど、それはもう筆舌に尽くしがたい耐えがたさだった。

受難、という言葉が浮かんだ。

 

自分が今、生きていることは十分に実感できたので、あとのことは手持ちのロキソニンに任せることにした。

 

親知らずにせよ何にせよ、何かを失う時の痛みはしばしば、並ではなかったりする。

 

薬でなんとか出来るだけマシなのだ。

 

大切な人のどうにもならないような痛みを和らげる、ロキソニン的存在になれやしないかと思ったりする。

 

けれど、そういう相手に限って痛みも大事にしてたりするから難しい。

 

痛み止めを混ぜたチョコを黙って食べさせるみたいなやり方がスマートに出来たらいいのに。